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枚方市民にしかわからん雑談レベルの細かい情報をもりもりと!

牧野車塚古墳はイギリスのストーン・ヘンジと関係がある!?

枚方中央図書館の近くに牧野車塚古墳という古墳があります。
行ったことはない人でも名前ぐらいは知ってるんじゃないでしょうか。

4世紀後半に造られたもので、誰が埋葬されているのかは分からないそうです。
ちょっとしたきっかけ(※)でこの古墳のことを簡単に調べていたんですが、そしたら思いもよらないおもしろい記事を見つけました。なんと牧野車塚古墳はイギリスのストーン・ヘンジとの位置関係を考慮して作られているというんですよ!

------引用-------
大阪府枚方市の牧野車塚古墳(東経135.67度)とイギリスのストーンヘンジ(西経1.84度)との経度の差「135.67-(-1.84)=137.51」度が円周を黄金分割する角度に一致するといいます。

しかし、牧野車塚古墳は、正確に東西方向に向いている全長107mの前方後円墳というだけで、特別な古墳ではないので、この段階では、太田氏が都合のよい地点として選んだのではないか感じます。

ところが、牧野車塚古墳がある緯度は北緯34.83度なので、ストーンヘンジとの経度の差137.51度に対する緯線の長さは、12564.93km となり、これを4で割ると、12564.93km/4=3.1412x10000km と円周率が出てきます。
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これは『「日本古代遺跡の謎と驚異」について』という記事なのですが、太田明という人の「日本古代遺跡の謎と驚異」という書籍の内容について検証しているものです。もう廃版のようでアマゾンには表紙の画像すらありませんでした。

また、この書籍では牧野車塚古墳が「大和に描かれた大三角形の頂点に位置する」として

----引用----
古墳の中心線の東西線に対する傾きは履中陵はほぼ60度、仁徳陵は64度で、その先に牧野車塚古墳がある。また、そこから南西の斜辺に沿って60度で降りていくとその線は「太陽の道(箸墓を通過する東西線)」と交わるが、そこに大鳥神社が位置している
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と主張していて、この点の検証もされています。

まぁ、いわゆるトンデモ系の話なので取扱注意ですw でも想像が膨らむからやっぱりおもしろいんですよねー。興味ある人は読んでみてください!

(※)牧野車塚古墳を調べたきっかけというのは、この古墳に使われている石は徳島県から海を渡って運んだ「阿波の青石」であるっていうニュースでした。こちらはまぎれもない事実のようです。近所から拾ってきたわけじゃないんですねー。
LINK:吉野川産 近畿の石室に asahi.com
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安藤広重が描いた枚方・男山の浮世絵の画像

20100415hiroshige.jpg

LINK:河内、枚方、男山 広重 お楽しみコーナー

↑のブログで、「東海道五十三次」で有名な安藤広重が描いた枚方・男山の絵が紹介されています。「六十余州名所図会」の中の一枚です。
と言ってもこれ、どこからどの方向を見た絵なのかよくわかりません。
真ん中の川が淀川で、左側が大山崎で右側が枚方・男山でしょうか。

あとWikipediaによると、名前は安藤広重ではなく歌川広重と呼ぶほうが浮世絵師としては正しいらしいです。安藤が本名で歌川が絵師としての名前ですね。

リンク先のブログは守口にある文化歴史資料館が運営していて、昭和3年頃の大阪市内の風景(鳥瞰図)などいろんな古い写真や地図が掲載されていておもしろいですよ!

■関連リンク
文化歴史資料館
Wikipedia 歌川広重

3月1日は禁野火薬庫が爆発した日

71年前(1939年)の3月1日は、日本陸軍の火薬庫だった禁野火薬庫が大爆発を起こした日です。

71年前ということはもう当時のことを知ってる人はほとんどいないですね。
死者は94人、負傷者602人、被災世帯4425世帯とすごい規模の爆発です。

こちらの「今日は何の日?徒然日記」というブログに、爆発して炎上する火薬庫の画像とともに詳しい説明があります。

こちらには現在の禁野火薬庫跡などたくさん画像がありました。


それにしても、小・中学校であまりこの事故のこととか教わらなかったような気がするんですが…、僕が忘れちゃっただけなんでしょうか。

禁野火薬庫 wikipedia

40年前の樟葉駅の写真。樟葉と楠葉の違い。

20100221kuzuha.jpg

LINK:京阪樟葉駅 Part1 自分的な暮らし

↑のブログに、40年前の樟葉駅の写真が掲載されています。
40年前って、さほど昔じゃない気がするんですがめちゃくちゃ昔の駅に見えます。
この駅から今の樟葉駅は全く想像できません。(場所も少し移転してるらしいですが)

あと「樟葉」と「楠葉」の2種類の表記がある由来なども紹介されています。

「楠葉村」と「船橋村」が合併

「樟葉村」に。

「樟葉村」と「枚方町」が合併

「枚方市」に。住所表記は枚方市楠葉○○で統一

という流れらしく、駅とかに「樟葉」が使われてるのは昔の名残なんだそうな。

あれあれ?「楠」から「樟」になって、また「楠」になってますね。
最初に「楠」から「樟」に変わった理由は、新しい村になったから漢字を「樟」に変えたとか?
あと最終的に住所が「楠」にされた理由は? むむー。

『戦前からあった「樟葉小学校」京阪「樟葉駅」、戦後できた「楠葉中学校」』ってところから考察してる記事もありました。

カギは「当用漢字」にありそうです。

百済寺で大量の瓦が出土

LINK:築地囲みの一画確認 枚方・百済寺跡金堂に準ずる施設か YOMIURI ONLINE

国道一号線のロイヤルホストがある交差点から枚方市駅に向かう道の途中にある「百済寺跡」から大量の瓦が出土したそうです。けっこう重要な建物の跡なんだとか。

百済寺とは wikipedia
「百済寺跡の松風」が"枚方八景"として景色の良いところに指定されてます。

それにしても発掘調査ってけっこういろんなとこでしてるんですね。
こないだの五六市がやってた道でも発掘調査中の場所がありましたヨ。

20100218hakkutsu2.jpg

20100218hakkutsu1.jpg

ここ。
何が出るんでしょうかねー。

ところで百済寺跡をgoogleのストリートビューで出そうと思ったらあの道は対応してませんでした。なんか枚方周辺のストリートビュー範囲が狭くなってるような・・・?気のせいか?

「病児保育」は枚方で発祥して国の制度へ。ルーツは香里団地にあり。

ものの始まり・なんでもなにわ 毎日jp

突然病気になった子供を預けるという「病児保育」。
働くお母さんには強い味方でしょう。

今は国の制度になっているそうですが、発祥は枚方の香里団地の"働くお母さん"たちなのだそうです。

1958年にできた香里団地は当時「東洋一」ともいわれる新興住宅地だったらしく、小さな子供のいる"働くお母さん"がたくさん移り住んできたのだそうです。そこで「病児保育」のニーズも必然的に高まりお母さんたちが集まって市と交渉するも予算がつかず、一時は自腹で病児保育を行ったのだとか。やがて予算がつくようになり、活動はどんどん広がって95年には国が制度化。

まだまだ活動は道半ばなのでしょうけど、草の根から始まった活動が全国に広がって行ったというのはすごいですよね。

詳しくはリンク先の記事にて。

坂本龍馬は枚方でくらわんか餅食べたことあるかも

福山雅治主演の大河ドラマ「龍馬伝」の影響で今年は坂本龍馬ブームになりそうですね。

いま大河ドラマでは龍馬は土佐を出て江戸で剣術修行をしているところですが、この江戸に向かう際に枚方を通っているそうです。
ネタ元は龍馬関係の小説では最も有名な、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。(「龍馬伝」の原作ではないです)

ryoma2010_01_30.jpg

↑これ。今本屋に並んでるのとは表紙が違うかも。この第一巻の61ページに枚方が出てきます。

---引用---
船が、天満八軒家から五里さかのぼって河州枚方についたときは、岸辺の村々から一番鶏の声がきこえてきたが、水面をこめている闇は、なお深い。
名物のくらわんか船がむらがってきた。はじめ竜馬は、喧嘩を売りにきたのか、とおもった。
餅、煮もの、酒、小間物、絵草紙など、さまざまの物売りぶねが、
「餅食らわんか」
「酒くらわんか」
「絵草紙買いさらせ」
などと口ぎたなく叫びつつ漕ぎよせ、客が買わないとさんざん悪態をついて漕ぎ散ってゆく。乗合船だけでなく、相手が大名、堂上の座乗船でもこの悪態はかわらない。
(たいそうもない土地だな)
伝説では、大阪ノ陣のときこの河内の川ぞいの村人が徳川方に便宜をはからったため家康がよろこび、「ほうびをとらせよう。望みを申せ」というと、里長がつつしんで、
「されば当地のことばは汚うござりまする。淀を上下する旅船に物を売りまするときに、汚きままにて物売りをしてよし、とおゆるしくだされば仕合せに存じまする」
このため天下御免の悪態になったというのだが、むろん俗説に相違ない。他国の者には悪口雑言にきこえるが、この土地の者にとってはふつうのことばなのである。
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イメージ最悪(笑)
くらわんか船って、ガラ悪かったのね。

それだったら、枚方のゆるキャラ「くらわんこ」も「ごんぼ汁たべたいワン」とか可愛いこと言ってないで「ごんぼ汁くいさらせ」とかもっと口汚くて物を売りつけてくるようなキャラにしてみてはどうでしょう(笑)

そういえばくらわんかという言葉自体はよく耳にしますが、由来とか真面目に聞いたことありませんでした。

参考までに・・・
くわらんか舟 Wikipedia

竜馬がくらわんか舟で餅を買って食べたかも?と考えると、ちょっと親近感が湧きますね。

枚方にまつわる平安時代の昔話。氷室台の名前の由来

雪にまつわる大阪の昔話~在原業平と交野の君 今日は何の日?徒然日記

↑のブログで、枚方を舞台にした平安貴族の恋物語が紹介されています。

登場するのは在原業平(ありわらのなりひら)と交野の君。
在原業平は歴史や国語の授業でも習いますね。

そしてこの二人の話が枚方市氷室台の地名の由来と言われているのだそうです。
ついでに渚や禁野の名前の由来もありますよ。

なかなかロマンチックでおもしろいのでぜひ読んでみてください!


枚方のいろんな土地名の由来を調べてみてもおもしろいかもしれませんね~。

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